【コラム14:クリティカルケアでの認知症ケア、身体拘束をどう捉えていますか?】

認知症高齢者の電車事故にともなう家族の責任についての裁判が話題になっていますね。

これは、老老介護を受けていた認知症高齢者の方が起こされた電車の人身事故をめぐって、家族の保護責任がどこまでかを問われている裁判です。保護責任は、主介護者である80代後半の妻だけに問われるのか?それとも、その方々の家族(長男家族)にまで責任が問われるのか?というところに注目が集まっています。判決次第では、今後の認知症高齢者に対する関わり方に大きな変化が起きるのではないか?ということのようです。

以前、医療倫理に関する授業を受けたとき、担当してくださった先生がおっしゃられた「倫理は、法よりも尊いものだ」という言葉がとても印象に残っています。その先生は、法律を専門とする方でした。「倫理は、法よりも尊いもの」というのは、日々患者さんや家族の方々と関わる私たち看護師が身をもって感じている(感じているべき)ことではないでしょうか?

では、その「尊い」倫理は何のためなのか? 誰のためなのか?

平成28年2月に改定された診療報酬では、身体疾患のために入院した認知症患者に対する病棟でのケアや多職種チームの介入について評価する目的に「認知症ケア加算」が新設されました。この加算では、ケアチーム内でのカンファレンスや、入院中の計画、退院後の生活に向けた計画などを立てる必要があることや、他職種から構成されるチームが必要であるなどの施設基準も設けられています。(もちろん、クリティカルケア領域でも算定できます)

が、注目すべきなのは、算定要件の中に「身体的拘束を実施した日は、所定点数の100分の60に相当する点数により算定」という文言が明記されているということです。つまり、「患者さんを抑制するとその日の加算は減点(6割へ)される」ということです。

「患者さんへの害が4割だという評価なのか?」「ちゃんとケアしていない割合が4割だと評価されるのか?」という議論はさておき、「身体拘束はできるだけ避けるたほうが良い」という当たり前のことすら、制度で示してもらわなければならないものなのでしょうか…。

制度=法ではないにせよ、「尊い」倫理が守られていれば、誰かに「避けなさいよ」と言われなくても、身体拘束ができるだけ避けらる(そのための話し合い、ケアや連携の工夫がなされる)のは「当然」であるはずです。

さらに言えば、患者さんにとっての身体拘束とは何か?(拘束帯や離床センサーを使わないだけでなく、目視されていることすら患者さんにとっては拘束なのかもしれません)を考えつづけることすら当たり前なのかもしれません。また、認知症に関することも、BPSDやフレイルに関してそれぞれが考えをぶつけ合うこともできます。

皆さんの施設では、認知症ケアや身体拘束とそのあり方に関する話し合いはもたれていますか?

個々が持つべき倫理も、部署で持つべき倫理も日々の対話からブラッシュアップされるものですよね。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160228-00000014-mai-soci

dementia

 

 

Follow me!