<土曜日のつぶやき>
常にジャイアンでいる必要はないんじゃないか
「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの」
というフレーズは、どこかしらで聞いたことがあるのではないでしょうか。
このフレーズ、実はいじめっ子のセリフではなく、のび太との友情から生まれた言葉だったというのは、割と知られているところ。
(『お前の悩みは俺の悩みでもあるんだ』というガキ大将的な愛情が込められている言葉だそうです…)
今日は、このフレーズを曲解して思ったことをつぶやきます。
新人さんや覚えが悪い後輩さん(ときには先輩さん)、なかなか理解が進まない学生さんなどに対して、なんらかの形で教育的な関わりをしたことがある人は多いのではないでしょうか。
そういった場面では、「厳しい指摘をするな」とか「とりあえず褒めろ」とかってよく聞きます。
他にも、相手がなかなかできない業務を「代わりにやってあげる」なんてこともよくあると思います。
そのときの感情って、「お前のものは俺のもの」的な感じになっているのかな…とも。
つまり、
君が理解できないのは、こっちの伝え方の問題だよね
できない仕事を君に振ったのが悪いんだから、できる人が動けば良いよね
厳しく指摘されると苦しくなるのはよく分かるから、厳しい指摘は避けておくね
とかってことです。
これって、
その場やその瞬間では、波風も立たないし、相手も安心できてるし良いような気もします。
でも、そうやって支援を受け続けている人って、その後に成長できてるのかな…と思ったりも。
いつまでたっても変化(成長)がない人って、
“本質をついた厳しい指摘をされないから”だったり、“(仕事が早い人が先に手伝っちゃうから)時間をかけてでもやりきるチャンスをもらえなかったから”だったり、”大多数に合わせて自分の意見が言えないから”だったりが要因になっていることもあるのかな…。
相手のために手を出すことって善でもあるけど、悪にもなり得る…?
同じ組織で活動する者だし、対人援助職者が目指す方向って同じだったりもするんだけど、
ときには、ジャイアンになるのをやめて、「お前のものはお前のもの、俺のものは俺のもの」っていう支え合いの仕方も大切なんですかね。
(程度の問題だとは思うけど…苦笑)