【コラム117:モラルディストレスについて】

 昨今、何かと耳にするワードですが詳しく知らなかったので、今回はこのモラルディストレスについて挙げてみました。モラルのディストレスですから、なんだかネガティブなイメージを漂わせているワードですが、moral(道徳)+distress(苦悩)なので“道徳的苦悩”や“倫理的苦悩”などで訳されていますね。 このモラルディストレスですが、倫理的不確実さや倫理的ジレンマなどともに看護師が体験する不快な感情や思いとして、Jameton1)によって定義された言葉のようです。具体的には、看護師が実施すべきと考える看護ケアが、制度や組織の制約、患者の置かれている状況によって行えないことから生じる苦悩や心理的な不安定さと考えられているようです。 このモラルディストレスの存在は、これらの不安定な状況への対処能力が低ければ、バーンアウトし、離職へとつながる恐れもあるとのことです。

 実は筆者自身、このような離職の思いが強くなった出来事が半年ほど前にありました…。

~ここはセミクローズドICUです。あの方は、人工呼吸器管理中の患者でした。とても高度な低肺機能があり、長期予後は極めて不良なエンドオブライフにある状況でした。その医学的予後の捉え方は、ICU専従医や看護師を含めたICUスタッフ全員の共通認識でした。しかし、その患者には度々意義が乏しいと思われる胸腔穿刺や輸血製剤の投与、薬剤の投与が行われ続けていました。ICUには何度か入退室を繰り返していたのですが、その度に「この方の医学的予後や治療方針についてチームで話し合いたい」と進言していましたが、主治医団は「現行治療(積極的治療)を継続するしかないから」と対話の意思をもっていませんでした。そこには、主任部長の強い意向も働いていたと思います。その方は、長期に及ぶ治療管理とベッド上生活により身体予備力、認知機能が徐々に低下していることは明らかでした。人工呼吸器を装着している安静時でも呼吸回数は35回/分前後、一回換気量は200~250mlと生きているだけでも苦痛なのではないかと思わせる状況になっていました。 ある時、回診時にこの治療はどこまでするんですか?と主治医団に投げかけたところ、ICU看護師に治療批判のようなことを言われたと指導医が乗り込んで来るような出来事がありました(主任部長も怒鳴りに行くと息巻いていたのは制止されたようでした)。それはとてもつらい出来事でした。辛かったのは、対話ができない相手に対してではなく、最大のアウトカムであるエンドオブライフケアによる患者の生活の質向上、患者の苦痛を緩和する、患者にとって害と思われる出来事を取り除くといった看護師の責務を果たすことのできない無力感が最も辛かったのです。自分は、看護師という仕事に誇りを持って働いているので、辞めたい、仕事から遠ざかりたい、と思ったことは一度もなかったのですが、この時に初めて仕事に対してとても強いネガティブな思いを抱えました。 そこで感じたことは、それまで充実して邁進してきたことだとしても、自身の信念を果たせなかったときには、こんなにも色を失ってしまうのかということでした。 辛かったことのもう一つに、矢面に立ったその看護師を守ろうとしてくれる管理者はいなかったことも要因でした。いつも毅然とした態度を維持していても、その人も一人の傷ついてしまう人間です。寄り添ってくれる人間がそばに居てくれたらどれだけ救われただろうかと思います(その時、悩みを吐き出せたのは院外のリソースナースや価値を共有できる人たちでした)~

 上記は自分の過去の体験ですが、いまモラルディストレスを調べながら、「あれはモラルディストレスだったのか…」と感じています。確かに“看護師が実施すべきと考える看護ケアが、制度や組織の制約、患者の置かれている状況によって行えないことから生じる苦悩や心理的な不安定さ”があったと思います。

  チーム医療が大事だ!!などと声高に叫ばれて久しいですが、臨床にはパターナリズムが当然のように存在します。パターナリズムを働いている人たちは、それが間違っていることだとは思わないので、より大きなパワーを用いないと状況は改善されないでしょう(ただ、その場合もよりパワーの強い人に言われたから一時的に緩和されるだけで本質はなかなか変わりません)。しかし、私たちは患者の最善に向けて仕事を続けていかなければなりません。どうすれば、モラルディストレスに対して姿勢を崩さず対峙できるのでしょうか?

 モラルディストレスについてのレビュー2)では、モラルディストレスの状況で看護師をサポートするための職場戦略を検討し、道徳的苦痛に対処するための対処戦略を開発するにはさらなる研究が必要だと述べています。正直、定型的に汎用できる何かの方略があるとは到底思えない問題なので、そうなのだと思います。

 しかし、自身の経験から感じる大切なことは、①モラルディストレスを感じている人にチームメンバーがしっかりと寄り添って挙げること、②その人の判断や思考が倫理的に間違っていないことを認めてあげること、③モラルディストレスを感じている人は、それらのサポートが受けやすいようにストレスを正しく表明すること、④”チームとして”残された課題に対峙していくこと、⑤モラルディストレスが起こるような事例に対して正しく判断を下す委員会の設置と”委員会自体の質向上”を図ること、などが挙げられると思います。

 なお、モラルディストレスの評価に関してはアメリカで作成されたMDS-Rという“倫理的な悩み尺度”の日本版であるJMDS-Rという尺度開発もされているようです3)。 モラルディストレスは、わたしたちの周りに当然のように鎮座している出来事です。願わくば、どうかその困難をチームの仲間とともに乗り越えていって欲しいと思います。ストレスを受ける人は、高い感受性がある故だと思います。そのような貴重な人財を失うことのないような環境が望まれますね。

1)Jameton A.:Nursing practice: The ethical issues. Englewood Cliffes, New Jersey,Prentice Hall,1984.                                2)Oh Y, Gastmans C:Moral distress experienced by nurses: a quantitative literature review. Nurs Ethics,22(1),15-31,2015.                    3)石原逸子,赤田いづみ,福重春奈,他:急性期病院看護師の日本語版改訂倫理的悩み測定尺度(JMDS-R)開発とその検証.日本看護倫理学会誌,10,1,2018

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